サムエル記第二18章-3

サムエル記,旧約聖書

サムエル記第二18章-3(19-32節)
=主な内容=
❹ダビデが望んだ吉報
=ポイント聖句=
27,見張りは言った。「最初の者の走り方は、ツァドクの子アヒマアツのもののように見えます。」王は言った。「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」
33,王は身を震わせ、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。」

=注目語句=
語句①吉報(良い知らせ)(19・25・26・27):英語tidings[便り,通知,音信,消息].;ヘブル語バセイル[良い知らせ,吉報]
語句②クシュ人(21):英語Cushi;ヘブル語クシー[彼らの黒さ]・・・クシュは現在の南エジプトと北スーダンに当たる北アフリカのヌビア地方を中心に繁栄した文明で最も早い時代にナイル川流域で発達した文明の一つ。

=黙想の記録=
❹19-32節:ダビデが望んだ吉報・・・この個所に「吉報・良い知らせ」と言う言葉が4回も使われています。ヨアブとアヒマアツ兄弟はアブシャロムの死こそが吉報です。しかしダビデにとってはアブシャロムが無事生存していることが吉報なのです。ヨアブは後に敵からの救いの朗報を受け入れなかったダビデを叱責しています(2サムエル19:5-6)。アヒマアツがダビデに伝えたかった良い知らせは「主なる神様がアブシャロムの軍勢を打ち負かしアブシャロムの死によってダビデ王に完全勝利もたらされた」ということでした。しかしヨアブの胸中にあったのはダビデが国家よりも私情を優先することの危惧でした。アヒマアツは功名心のあまりダビデ王の元に伝令として駆けつけることを兄ヨアブに申し出ます。しかしヨアブはそれを許しません。アヒマアツがありのままを報告すればダビデ王は激怒しヨアブとアヒマアツに厳罰を持って臨むかもしれないからです。そこでヨアブは外人傭兵のクシュ人を伝令として送ります。クシュ人を伝令として遣わすのには意味があります。かつてサウルが亡くなったことを知らせたアマレク人はその場で死罪。イシュボシュテの首を運んで来た二人の若者もその場で八つ裂き刑だったのです。アヒマアツも同様な処罰を受けるかもしれないのです。クシュ人はヨアブの奴隷ですからダビデの怒りに晒すことに何の躊躇も必要ないのです。アヒマアツは再度伝令を申し出るのですがヨアブは何の利益ももたらさないと彼を諭します。しかし彼は聞き入れずクシュ人の後を追います。途中クシュ人を追い越し王宮に先についてしまいます。アヒマアツがダビデの礼をし報告しようとするとその口を征する様にダビデから出た言葉はアブシャロムの安否を問うものでした。多くの血が流された末の勝ち戦という報告より我が子の安否の方が木に掛かっているのです。ここでアヒマアツはアブシャロムの死を報告すればダビデ王の逆鱗に触れることをやっと悟るのです。「29,ヨアブが王の家来であるこのしもべを遣わしたとき、何か大騒ぎが起こるのを見ましたが、私は何があったのか知りません。」と苦し言い逃れをしますが、ダビデ王によって脇に退かされてしまいます。慰労の言葉や行賞に関する言葉は一言もありません。後からようやく到着したクシュ人がダビデの前に出されます。『32,王はクシュ人に言った。「若者アブサロムは無事か。」クシュ人は言った。「王様の敵、あなた様に立ち向かって害を加えようとする者はみな、あの若者のようになりますように。」』のやり取りにある様にクシュ人はダビデに忖度などせずあからさまに戦況を報告するのです。クシュ人はアブシャロムのことを「ダビデの敵」と言ってはばからなかったのです。この場面をリビングバイブルは前のめりしてこう翻訳しています。『31-32,するとクシュ人が到着し、「王様、吉報でございます! 本日、主は、すべての謀反人どもからあなたをお救いくださいました」と報告しました。「それで無事なのか!? 息子のアブシャロムは。」「あなたに敵する者に、あの方の姿はよい見せしめとなりました。」』リビングバイブルは「吉報」と言う言葉を最後にクシュ人に言わせてます。「吉報」とは誰かにとっての「都合の良い知らせ」ではないのです。戦争が終結したことを民と一緒に祝うべきところをダビデは死んだ息子のために泣き叫んでいるのです。このアブシャロムの死は確かに主なる神様の裁きの一つです。国王としての正しい振舞とは言えないのです。かつてダビデはウリヤ殺害の件に関してナタンの前で何と言って誓ったかを覚えていますか。「その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして償わなければならない。(12:6)」。バテシェバが生んだ最初の子は生後間もなくして病死。長男アムノンはアブシャロムによって殺害され、アブシャロムは戦死するのです。そしてソロモンの治世になると四男アド二ヤも殺害されるのです。つまりウリヤ一人に対してその4倍の息子の命が絶たれるているのです。ダビデは誰よりもこの事実を深刻に受け止めていたと言えるのです。

Posted by sakaihc