サムエル記第二19章-3

2024年4月22日サムエル記,旧約聖書

サムエル記第二19章-3(24-39節)
=主な内容=
❹メフィボシェテの立場❺バルジライの来訪❻北と南の紛争の始まり・
=ポイント聖句=
29-30,,王は彼に言った。「あなたはなぜ、自分のことをまだ語るのか。私は決めている。あなたとツィバとで地所を分けるのだ。」メフィボシェテは王に言った。「王様が無事に王宮に帰られた後なら、彼が全部取ってもかまいません。
=注目地名=
地名①ロゲリム(27):英語Rogelim;ヘブル語ロギリーム[(毛織物などの)仕上げ工が居る場所]・・・ヨルダン川東ギレアデのマナセ部族の町。
=注目人名=
人名①キムハム(37):英語Chimham;ヘブル語キムハム[彼らの憧れ]・・・バルジライの息子。ソロモンにキムハムを保護する様に命じている。
=黙想の記録=


❹24-30節:メフィボシェテの立場・・・都落ちした直後にツィバはメフィボシェテの裏切り行為をでっち上げしまんまとメフィボシェテの嗣業をツィバに全部与える約束をダビデにさせてしまったのです(Ⅱサムエル16:3-4)。ツィバの監視のもとに幽閉されるような生活を強いられてきたメフィボシェテです。ツィバの悪だくみによってたとえ数か月の幽閉生活は耐え難いものでした。唯一のツィバへの反抗は「24,・・・足も着物も洗わず、ひげもそらずに過ごして」いることでした。これはダビデが都落ちする事への深い哀悼のしるしでありダビデ王に対する忠誠心の表れだったのです。ツィバの言ったことが正しければ今頃はサウル王家の跡取りとして威儀を正し身なりをきちんとしていたことでしょう。しかしメフィボシェテの身なりは明らかにツィバの言ったこととは真逆だったのです。さらに『26,・・・ろばに鞍を置き、それに乗って、王と一緒に行こう』とあります。以前ツィバが二頭のろばを献上する場面がありました(Ⅱサムエル16:1)が、その献上したろばこそはメフィボシェテのものであり、ツィバが奪い取ったことを証言したものでした。メフィボシェテが帰還途中のダビデ王に一刻も早く面会するチャンスをツィバが奪ってしまったことを証言したものです。ツィバが今回も誰よりも早く帰還途中のダビデ王を迎えに行った(Ⅱサムエル19:17)のも以前の嘘がばれない様にするためで、嘘で嘘の上塗りした様なものだったのです。メフィボシェテの言動からダビデは全てを悟ることができたのです。ところがツィバと交わした前言は覆すことはできません。何故ならツィバは思いのほか強大な力を持ちエルサレムにおいても現時点で影響力を与えていた人物だったからです。場合によるとシムイが引連れて来た2000人の兵士たちはツィバの私兵だったかもしれないのです。ですからダビデはこの時点でツィバを逆上させないために、「全ての領地をメフィボシェテ移譲せよ」とは言えなかったと推測できるのです。ダビデはツィバの言動が虚偽のものであると分かりながら、ここでは領地の半分だけをメフィボシェテに返すことを決めたのです。『30,メフィボシェテは王に言った。「王様が無事に王宮に帰られた後なら、彼が全部取ってもかまいません。」』とはダビデ王の苦しい胸の内を察したメフィボシェテの言葉と解釈できるのです。「ツィバの言動は全てデタラメです。だから彼を厳しく罰してください。」とは言えなかったのです。24-30節でメフィボシェテは終始ダビデ王に対し謙遜の限りを尽くしています。


❺31-39節:バルジライの来訪・・・シムイとツィバ、メフィボシェテこの三人の人物との面会はダビデにまた新たな火種となることを感じさせる謂わば心配の種です。しかしバルジライの登場はダビデの真の友となりうる人物こそ何の権力も持っていなかった古老であることを強調したかった作者の意図が垣間見えるのです。ダビデはこの古老に礼を尽くすため、エルサレムに上らせそこで余生を暮らすようにしきりに勧めるのですが、歳を取りすぎてダビデ王が復活させる政権に何の役にも立たないからとバルジライはそれを固辞します。「35,私は今、八十歳です。私に善し悪しが分かるでしょうか。しもべは食べる物も飲む物も味わうことができません。歌う男や女の声を聞くことさえできません。どうして、この上、しもべが王様の重荷になれるでしょう。」のバルジライのダビデの要請に対する返答はバルジライから謙遜とは何かを学ばせてくれるところです。ダビデが困難に遭遇した時にバルジライは自分の持てる力を最大限に発揮してダビデを支援します。しかしその行動に対する見返りを求めてはいないのです。マタイ25:34-40でイエス様が「正しい人」とは正にバルジライのことだったのではないでしょうか。
❻40-43節:北と南の紛争の始まり・・・ここでは新たな指導権争いが勃発しています。北の10部族とユダの部族(シメオンの部族はユダ部族に吸収されていた)が、エルサレムに入る直前のギルガルに集合し、舌戦を繰り広げるのです。その背景には北の10部族はユダに先立ってダビデ王と和解を進め、ダビデの王権回復に尽力していました(Ⅱサムエル19:9-10)。とことが、ヨルダン川を渡河させる時ユダ族が中心的に動いて北の10部族が出る幕がなかったのです。さらにヨルダン川の渡河が無事済んだことをギルガルでの祝会には北の10部族は招待されていなかったのです。つまり、ダビデ王を護衛し無事エルサレムに帰還させる特権と栄誉を奪われたとの不平を言い出したのです。お互いの主張点をまとめてみました。
[1]北の10部族・・・ユダ族は勝手に王とその家族の川越えに立ち会って我々を無視した。
[2]ユダ族・・・ダビデ王はユダ族出身だ。今回の帰還に際しダビデ王から特段の報酬を受けたから動いたのではない。同族を歓迎するのは当然の道理だ。「42,・・・。いったい、われわれが王の食物を食べたとでもいうのか。王が何かわれわれに贈り物をしたとでもいうのか。」この言葉は「サウル王がベニヤミン人の生活を豊かにした(Ⅰサムエル22:7)」と自慢したことに対する皮肉です。
[3]北の10部族・・・ユダ族一部族に対してきたの10部族は数の上でも圧倒している。当然ダビデ王の去就に対してはユダ族よりも強く意見を言える立場だ。
本来ならヨルダン川渡河もギルガルの祝会も南北部族の調和を考慮すべきだったのですで。北部族の根拠地の一つを僅かな期間でも居留させてもらったのですからそのくらいの礼儀はあっても良かったのです。ダビデは一刻も早くエルサレムに戻り事態収拾を図ろうとしたのですが、焦るあまりにこのワンステップを怠ってしまったのです。この事件は現時点ではとても些細なことに見えるかもしれませんが、やがてこの事件が南北の分裂を招く火種にもなっていたのです。この事件はすぐに別の人物による反乱を引き起こす要因となりました。(Ⅱサムエル20:1)

Posted by sakaihc