家の教会日記2024.04.21

家の教会日記2024年,家の教会日記2024年4月

1⃣パン裂き集会am10:30~
2⃣学び
💚先週の黙想記録
Ⅱサムエル記
19章-1 ❶ヨアブの諫言
19章-2 ❷エルサレムへの帰還➌シムイとツィバの迎え
19章-3 ❹メフィボシェテの立場❺バルジライの来訪
(1)拝読聖句:サムエル記第一30章
=ポイント聖句=
6,ダビデは大変な苦境に立たされた。兵がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩ませ、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したからだった。しかし、ダビデは自分の神、主によって奮い立った。
8,ダビデは主に伺った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」すると、お答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」
19,子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。
22,ダビデと一緒に行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らは一緒に行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物は、分けてやるわけにはいかない。ただ、それぞれ自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」
26,ダビデはツィクラグに帰って来て、友人であるユダの長老たちに戦勝品の一部を送って言った。「これはあなたがたへの贈り物で、主の敵からの戦勝品の一部です。」
=メッセージ=
アマレク人の略奪事件・・・ツィクラグからアフェクまでの距離は140kmを優に超えています。ダビデの部隊は「らばやラクダ」を保有していません。恐らく歩兵ばかりでだったことでしょう。一日平均25km移動ができたとしても3日以上かかります。アフェクで一泊したわけですから帰還するのに凡そ7日間もツィクラグは無防備の状態のままです。この隙を狙ったのがアマレク人です。27:8でダビデの部隊はアマレクを略奪していますから、この攻撃はその報復であったことは間違いありません。安全安心そして安定した生活の確保という理由だけで、故郷イスラエルを捨てペリシテ人に隷属してきた結果が目の前の惨状です。「3,ダビデとその部下が町に着いたとき、なんと、町は火で焼かれていて、彼らの妻も息子も娘も連れ去られていた。」とあります。住居を火で焼かれただけでなく家族までそこに居ないのです。奴隷にされるのかあるいは別の場所で殺さるのかは定かではありません。この時点で兵達は「全てを失った」という悪い想像しか出て来ないのは当然です。ペリシテ人の軍門に下りしかも何度も命がけで近隣の部族を襲撃してきたのです。ダビデに身を寄せることがなければこんな命を削る思いをする毎日ではなかったはずなのです。兵達の不満はピークに達し、「元凶であるペリシテ人への投降」を選択したダビデに矛先を向けるのです。主なる神様の奇跡的な介入により戦わずして帰還できたのです。しかも「ツィクラグは攻撃を受け火で焼き払らわれていた(1)』ということはペリシテ人の領地に居場所がない。もっと言うなら寸分も自分たちがそこに居たという痕跡が残らないという主なる神様のこれまた配慮になるのです。ここに兵達にもダビデと同様信仰の目が育っていたのなら、「見ている光景は惨状に非ず。イスラエルへの帰還への入り口也。」と反って希望が湧いてくるはずなのです。「2,そこにいた女たちを、子どもも大人もみな捕らえ、一人も殺さず、自分たちのところへと連れ去っていた。」との確かな情報があるのですからアマレク人を追撃して家族を奪還すればいいのです。「6,・・・ダビデを石で打ち殺そうと言い出した」とありますが、ダビデを殺害したければ密かに誰かが剣で暗殺すれば良い所を「石打ち」で殺そうとするのは違和感がありませんか。「石打ちの刑」はイスラエルの重罪人をに対する死刑の方法ですが、複数人が寄って集って(よってたかって)公の場で時間を掛けて殺すものです。じわじわ殺していくのは可愛さ余って憎さが百倍という心理からでしょうか。また同時にダビデの家族も全員同じ刑に処せられるのです。しかしここで気になるのはこの「石打ちの刑」は必ず合議の末に決定されるもので会衆の同意が必要なのです。ダビデがいるところで合議されたとするのならダビデにとってそれはあまりにも情けないことです。命がけで部下たちを守り抜いてきたのはダビデです。それを今更ダビデに責任転嫁して何の得策になるのでしょう。兵達は復讐する相手を間違えているのです。ダビデは自分が刑に処せられることよりもこの部下たちに信仰の目、主なる神様に信頼する心が育っていなかったことに今更ながら気づかされるのです。「6,・・・しかし、ダビデは自分の神、主によって奮い立った。」とあります。アキシュから「イスラエルとの戦いに参戦せす帰還する様」に命じられた時、すでにダビデには、「見ている光景は惨状に非ず。イスラエルへの帰還への入り口也。」との信仰による確信が与えられていたのです。
べソル川に残った200人・・・部下たちがダビデに迫る中、ダビデは毅然とした態度である提案をします。それは主に伺いを立てるということです。主に伺いをたてるとき大祭司にはウリム(白石:NO)とトンミム(黒石:YES)を収めた胸ポケットのついているエポデ(胸当て)を着用させます。二者択一の質問に対し、この2つの石のどちらかを祭司が引き当てることで「YES・NO」の神託となるわけです。ここで記されている質問内容は「2つ」なのですが「3つ」の答えが記されています。ということは①アマレク人の略奪隊を追撃すべきか②探し当て追いつくことはできるか③同胞を救出できるかの3点ではなかったのでしょうか。ところでこの質問の結果、『ダビデの部隊は追撃した』わけですから、大祭司は胸ポケットからトンミム(黒石)ばかり3回を引き当てたことになるのです。確率8分の1。数字で表現すれば大したことではないと思えてくるのですが、これはとても難しいくじ引きの筈です。しかもダビデ本人ではなく厳正を期す大祭司が行ったのですから。この結果にダビデの部下たちは大変驚いた筈です。仮に全てウリム(白石)ばかり立て続けに出れば「ダビデは有罪(石打ちの刑に処すべき)」と言う主なる神様の神託になるのです。アマレクの略奪隊追撃に向かいます。ところが「10,ダビデと四百人の者は追撃を続け、疲れきってベソル川を渡れなかった二百人の者が、そこにとどまった。」とあるように200人は追撃していないのです。ある説によるとこの川は川幅が広く急流であっため体力のないものには渡河できなかったとされています。アフェクからツィクラグへの急ぎ足の帰還は当然体力を消耗させています。特に老齢の者や傷病のあった者には渡河は無理です。彼らとて奪われた家族のことは心配の筈です。無理にでも付いていきたいところですが、かえって足手まといになるのが目に見えていたのでしょう。推測ですがダビデも彼らに待機することを敢えて勧めたのではないでしょうか。ところでこの残った200人については全く別の考え方もできるのです。「10,・・・疲れきって」の原語の意味に「活気がない」とあるところからやはり戦闘意欲がないともとれるのです。つまりこの200人はダビデを排斥し、石打ちので命まで狙おうとした人物達ではないかと言うことです。アマレク人の略奪隊がどこに逃げていったかも判明しないのです。彼らがどのくらいの戦力を有するのかも未確認なのです。危うい戦闘にわざわざ出向くことはないと決め込んでいた人物達かもしれません。家族の奪還に成功してこの場所に戻って来た時にいざこざが起きるのはこのせいかもしれません。
エジプト人奴隷との出会い・・・アマレク人の略奪隊がどの方向に逃げたのかも把握していないまま追撃しているとふらふら状態のエジプト人を見つけるのです。しかもこのエジプト人は例のアマレク人略奪隊の一員で奴隷だったのです。病気の故に主人に見捨てられた脱水状態のまま放置された瀕死の状態だったのです。アマレクにとってこのエジプト人は使い捨ての消耗品だったのです。ダビデ一行の携帯している食料には限りがあるはずです。しかしこのエジプト人を助け出すところは、やはりイスラエルの高い倫理観を感じざるをえません。このエジプト人との遭遇は偶然なのではありません。主なる神様の配慮です。アマレク人の略奪隊に追いつく最短コースをこのエジプト人は知っているからです。
アマレク人追撃と家族の奪還・・・難無く追いつき略奪隊の様子を遠目で伺うと、彼らは方々に散らばりながら宴会をしているのです。「その地いっぱいに散って」とありますが、これは隊を崩して武装解除している状態です。さらに泥酔した者達を討ち取るのは容易いなことです。ダビデは一気に攻撃に出ます。略奪隊がどれだけの規模かは記されていません。「17,・・・らくだに乗って逃げた四百人の若者たち」とありますが、「若者たち」とはエジプト人のような奴隷の身分の外人部隊を意味するのかもしれません。無防備の者達を襲う能力はあっても戦闘員とは戦える能力はなかったことを表現したものです。「19,子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。」とありますが、凌辱されることなく無傷で戻って来たことを意味します。付け加えのようになりますが「14,私たちは、クレタ人のネゲブと、ユダに属する地と、カレブのネゲブを襲い、ツィクラグを火で焼き払いました」とあります。略奪したのはツィクラグだけではないのですから、おびただしい量の分捕り物があったことになり、その全てがダビデ一行が手に渡った訳です。これも主なる神様の配慮と言うべきでしょう。しかしこのおびただしい量の分捕り物を前にいざこざが起こるのです。
分捕り物についてのいざこざ・・・「兵たちは家畜の先に立って導き」とありますが威風堂々と凱旋して来たかのような表現です。ところが山積みされた財産は先頭にあって厚く保護して帰るのに肝心な家族は二の次の様な表現なのです。『20,・・・「これはダビデの戦勝品だ」と言った。』とありますがこの「戦勝品」とはアマレク人の略奪隊が所有していた武器や装身具、衣服や装飾品、金銀や宝石の類、ラクダなどであり、ツィクラグの住民が所有していた物ばかりではありません。ところが一部の者達が戦いに参加しなかった200人を前にして「家族は返すが奪い取った財産は持ち帰る権利はない」と言って来たのです。これは可笑しな理屈です。なぜならべソル川に残留してしまった200人にもまた「奪われた財産」があったはずなのです。元に戻してあげるのは当然なのですが、彼らの言い分ではそれさへも許さないわけです。仮に30章-2の黙想の記録で述べた様にこの200人がダビデを排斥しようとしたグループであったとするのなら400人の部下たちがこう高飛車に要求するのも妥当な感じがします。もし残された200人が老人であり傷病のある者達であったとしたら温情を掛けるのはなおさらなのです。「22,・・・意地の悪い、よこしまな者たち」と表現していることから、この主張をしてきた者たちが物欲に目が眩んでしまった故の発言であったことが分かるのです。彼らの発言には「この分捕り物は家族を取り戻すために労苦した我々の当然の報酬ではないか。」さらに「論功行賞が優先するだろう。」(あるいはダビデを排斥しようとしたのはお前たちに権利はない。)の意味も、舌下にあったのです。しかし論功行賞で言うなら、今回の奪還作戦で一番の功労者はダビデ本人です。また自分を排斥しようとする人物に報酬を与えないと言えるのダビデを差し置いてはいないのです。つまり配分の権利はダビデにあるのです。しかしダビデはその権利を行使しないばかりか分捕り物については以下のように指示するのです。「23-24,・・・それはいけない。主がわれわれを守り助けてくださったおかげで、敵を打ち破れたのではないか。そんなことを言って、いったいだれが納得すると思っているのだ。戦いに行く者も、銃後の守りを固めた者も、平等に分け合おうではないか。(リビングバイブル)」つまりダビデが主張したのは「今回の一番の功労者は主なる神様である。この方の介入が随所に見られたではないか。この方の介入があったからこその勝利だったのだ。故に配分の権利は私達にはない。配分の権利は全て主なる神様にある。そしてこの方が望む分配方法は、戦いに行く者も、銃後の守りを固めた者も、平等に分け合うことなのだ。」この分かち合いの精神は民数記(民数記31:27)の時代からヨシュア記(ヨシュア22:8)の時代まで継続しています。ダビデはこの古き良き精神を継承したにすぎないのです。サウル王の様に私物化しようとする意欲はダビデには見当たらないのです。
ユダ族への贈り物・・・『26,ダビデはツィクラグに帰って来て、友人であるユダの長老たちに戦勝品の一部を送って言った。「これはあなたがたへの贈り物で、主の敵からの戦勝品の一部です。」』とあるように、ダビデはアマレク人の略奪隊から没収した戦勝品をダビデ一行が放浪している最中に面倒を見てくれたユダの全ての諸氏族にお礼として送るのです。勿論これは単なるお礼ではなく、ユダ族に帰還しユダ族に帰属することを意味しています。同時にアキシュ軍から離脱しペリシテ人に対峙することを宣言したのものです。この2年後にダビデは王位を継承し、即座にペリシテ軍と一戦を交えるのです。

パン裂き集会とは
※パン裂き集会とは次の手順で行うプリマスブラザレンの伝統に則った主日礼拝のことです。
①パン裂き集会(聖餐式)
賛美→感謝の祈り
→聖書朗読と短い説教
→パンぶどう酒をいただくことへの感謝の祈り
→パンを裂きそれぞれが食します・ぶどう酒を同じグラスで回し飲み
→感謝の祈り
→賛美

Posted by sakaihc