サムエル記第二20章-1

サムエル記,旧約聖書

サムエル記第二20章-1(1-3節)
=主な内容=
❶シェバの反乱の発端❷十人の側女の運命
=ポイント聖句=
1,たまたまそこに、よこしまな者で、名をシェバという者がいた。彼はベニヤミン人ビクリの息子であった。彼は角笛を吹き鳴らして言った。「ダビデのうちには、われわれのための割り当て地はない。エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない。イスラエルよ、それぞれ自分の天幕に帰れ。」
3,ダビデはエルサレムの自分の王宮に入った。王は、王宮の留守番に残しておいた十人の側女をとり、監視つきの家を与えて養ったが、彼女たちのところには通わなかった。彼女たちは、一生、やもめとなって、死ぬ日まで閉じ込められていた。
=注目人名=
人物①シェバ(1):英語Sheba;ヘブル語シェバー[七] 人物②ビクリ(1):英語Bichri;ヘブル語べフリー[若々しい] 注目語句
語句①よこしまな(1):英語Belial;ヘブル語ベリヤエル[価値のない,卑しいやつ,破壊的な] =黙想の記録=
❶1-2節:シェバの反乱の発端・十人の側女の運命・・・先のユダ族とイスラエル10部族の舌戦はユダ族に軍配が上がったように見えました。イスラエル10部族がこの決着に満足できるはずがありません。ダビデはこの舌戦に割って入ろうとはせず成り行きに任せただけでした。ダビデはユダ族に先導されエルサレムに帰還する前に、この対立構造をその場で解決しようとしなかったのです。この判断の甘さはイスラエル10部族にはダビデ王が自分たちの言い分を全く無視していると映ってしまったのです。イスラエル10部族を繋ぎとめる魅力が何もないのです。ユダ族がギルガルからエルサレムにダビデ一行を先導していったのとは対照的にイスラエル10部族はそそくさと故郷に戻っていくのです。シェバがサウルの部族のベニヤミン族でビクリの息子であるという情報以外に作者は詳細を記録していませんが、イスラエル10部族の中から彼に従う人々がいたわけですから、先のツィバやシムイの様に相当の実力者であったと推測されるのです。前述した様にダビデは一刻も早くエルサレムに戻ってから事態収拾を図ろうとしたのです。アブシャロムの反乱が終結したのがダビデ61才。そこから9年後には老衰で亡くなるわけですから体力気力ともに決断力にも衰えが目立っていたのでしょう。住み慣れたエルサレム以外の場所はダビデ王にもまた多くの家族や重臣たちにとって快適な場所とは言い難いところだったのです。ですからその不快な生活を強いられる人々の声がダビデの信仰心を鈍らせたのかもしれません。あるいはアブシャロムの反乱に触発され、ソロモンの王位継承を一刻も早く実現したいという性急な感情が焦りを生んでいたかもしれません。兎も角、荒野で過ごしていたあの時のダビデの純粋な信仰心はここではもう見られないのです。
※ところでシェバが角笛を吹き鳴らして後で飛ばした檄はレハブアム王の治世で反旗を翻そうとしてイスラエルの人々の言葉(Ⅰ列王12:16)とそっくり同じなのです。「歴史は繰り返す」と言う言葉があります。この世の歴史を操作しているのはこの世の君であるサタンです。ですからいつも一定の規則性をもって言葉を換えれば「同様な手口」で人類を破滅に導こうとしている現象こそが目に見えている「繰り返される歴史」なのです。主なる神様が存在しない現場ではサタンは「分裂」という常套手段を用いています。アブシャロムの反乱・シェバの反乱は別の味方をすれば「高慢な人々を手玉に取って行う分裂」というサタンの手法まんまとしてやられた人間の歴史と言えるのです。こんな時だからこそダビデは主なる神様に介入してだくよう求めれば良かったのです。
❷3節:十人の側女の運命・・・エルサレムに帰還できたダビデが真っ先に行ったのが十人の側女の王宮からの追放です。前述したように彼女たちを宮殿に残したのは「家財道具や家具を守る」と言う意味で、アブシャロムとその部下たちによって損害を与えないようにするためだったのですが、アブシャロムは品行方正の青年(それが証拠にエルサレムに上るまで妻は一人)なのでよもやダビデの側室たちに危害を加えないとダビデは思い込んでいたのです。アビシャロムが宮殿を乗っ取りそのまま利用するとなれば、使用人として使える筈です。またダビデと一緒の行動を取れば命の危険を冒す可能性が高いのです。ダビデは側室たちの安全を確保するためにこうした方法を取ったのではないでしょうか。しかし結果彼女たちはアブシャロムに凌辱されたのです。「3宮殿に着くと、さっそく王は留守を守らせていた十人のそばめを別棟に移し、軟禁しました。彼女たちの生活は保証されましたが、王が通うことはありませんでした。女たちは死ぬまで、未亡人同様に暮らしました。(リビングバイブル)」律法によれば不貞と見なされ死罪にされても同然ですが、ダビデは彼女たちに恩赦を与えます。「死罪にはしなかったが、他人に凌辱された女性たちの顔など見たくもないので隠遁生活をさせたのではないか」とダビデの身勝手な思いを腹立たしく思うかも知れません。しかしダビデは一生涯彼女たちの生活保障を約束しているのです。しかし律法によれば彼女たちは夫の死後束縛から解放され自由の身になります。つまり9年後にはこの軟禁状態からも解放されることになるわけです。ところで十人の側女を都に残したことについては全く異なる説もあります。都落ちするダビデはこの取り扱いが主なる神様から来ていることを痛感していました。一夫多妻もさることながら、異教徒の王の慣習に倣いハーレムを作ったことに対しては特に心に咎めを感じていたと思われるのです。そこで悪しき習慣にピリオドをつけるためにエルサレムに彼女たちを置き去りにしたという説もあります。置き去りにすれば主なる神様が処断を下すだろうと勝手に思い込んでいたかもしれません。彼女たちが生き残った彼女たちを死罪にすれば「ダビデ王は大変身勝手な男だ」とのレッテルが貼られるでしょう。しかしハーレムを復活させればもっと悪評が沸騰してくるでしょう。その懐柔策が王宮内での幽閉隠遁生活ではないかという説もあります。

Posted by sakaihc